2011年10月14日金曜日

白滝神社(東京都あきる野市)の由緒

白滝神社の由緒

 白滝神社の御鎮座の年代は明らかでは有りませんが、昔は不動明王と称え「白滝の社」と崇められ、日本武尊の御霊蹟として霊験あらたかにして、里民は深く崇敬してきました。年代ははっきりしませんが、この地の郷士で代継縫之助という人が自邸の鬼門除けとして、日本武尊の御霊蹟に不動明王を崇め祀り、不動堂と称え村の鎮守としました。
明治維新の際、神仏混淆の禁止により神祇官の許しを得て、不動堂を廃し白滝神社と改称しました。当時、この社は米津長瀞藩知事の所轄であり、従前の社職、代継左近藤原重政氏が当社の神官に補せられ、社務を奉仕することになりました。
境内は寛文七年(1667年)三月の検地の際、無税となり明治四年(1871年)上地、同九年(1876年)三月官地と定められました。明治四十五年(1912年)二月十三日、天照皇太神を崇め奉る神明社を合祀し、氏神と崇め心のよりどころとして参りました。
『奉賛会資料』より
神社の登り口の鳥居です。下代継町内を通過する旧五日市街道のすぐ下(南側)に祭られた白滝神社です。数年前まで夜のなると「ホウホウ」とフクロウかミミズクが鳴いていましたが、最近は老木が嵐で倒れた後から聞こえなくなりました。
鳥居を潜ると階段の正面に八雲神社の小さな社が目に入ります。

『新編武蔵風土記稿』より
 不動堂
除地 二段六畝 地無年貢 地百二十坪 村の中程にあり わずかなる堂にて 上屋二間(約三,六メートル)四方 南向きなり 不動は木の立像長一尺二寸最古色に見ゆ されど作詳らかならず前に石段三十四段あり境内に入りて左の方に滝あり 槻(欅の一種)の大木一本あり 囲八十九尺許り 其の外雑樹蓊鬱として繁茂し 年経たるさまの境内なり 村内東海寺の持
 神明社
境内に入りて左の方にあり
 愛宕社
向かいて右の方にあり 小祠
『新編武蔵風土記稿』
1810年に林述斎が建議し昌平坂学問所の地理局で編集され、
1830年に幕府に献上された文書です。
白滝神社の保管棟です。この社の中に下の写真の本殿が祀られてます。
中には見事な彫刻が施された本殿が祀られてます。
白滝神社東側の湧水の流れ出す穴です。
湧水が流れ出し滝になってる場所に祭られている水神様(龍の石像)

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